自然科学書出版  近未来社
since 1992
 
地球色変化 −鉄とウランの地球化学−

はしがき

 この本は、科学啓蒙書であり、むしろエッセイに近い。ウランと鉄の地球化学や放射性廃棄物の地層処分問題に関わる研究をめぐる1人の自然科学者の、自分の研究テーマやスタイルを作っていく時の悩み、アイデアやヒントを得る過程、そのアイデアを実現していくための試行錯誤と興奮、結果を得た時の喜びや驚き、成果をまわりの人々に伝える楽しさなどを書こうとしたものである。ただし、特に第1章後半のように、研究の内容を掘り下げて書いている部分もあるので、読者の皆さんは、このようなところは読みとばして、エピソード的な部分や興味を引く小見出しの部分をひろい読みして頂いて構わない。

 また、研究を進めていく過程での、研究者以外の家族等も含めた様々な人々との交流も生々しく描くことにした。ウランの地球化学に関するところでは、カナダ奥地のキャンプ生活でのウラン探査、フランス留学時代の日本とフランスの文化や人間性の交流についても書いてみた。その後の放射性廃棄物処分問題にまつわる石や土の中の拡散実験、拡散経路の曲がりくねり方とフラクタル、石の鉄さび等については、まわりの研究者・技術者と一緒に研究を作り上げていく様子を描いてみた。
 また、新しい地球化学的な分析手法として、色の測定法、分光測色法、顕微鏡のもとで物質の化学形態を測定する装置(顕微可視・赤外分光計)の開発と、その様々な現象への適用などを開発秘話風に描いてみた。

 さらに、若い研究者や大学院生、学生達との研究に関わる交流を随所に入れてみた。それは、私の教育哲学の表現でもある。つまり、自然の前では、私達は皆平等であって、上も下もない。より知識や経験が豊富な上司や教官がいつも正しいとは限らないし、むしろ余計な既成概念に縛られていない人の方が本質をついた発見をする場合もあり得るのである。そういう意味で、自然が語りかけてくる事柄を虚心坦懐に受けとめ、素朴な疑問を自分の手で確かめる実験を考え、実験結果の洞察から驚くほど単純な法則を見い出していく、というような過程を私は伝えたかった。学生と接する時、学生自身のものごとへの取り組み方やみずみずしい感性から、個性的、独創的なアイデアや手法、考え方等を引き出して伸ばしていくのが、私の役目だと思っている。
 1993年度後期、東京大学教養学部の1年生の「惑星地球科学」という授業を非常勤講師として担当した。彼らに地球科学の面白さを伝えるために、自分の関わった研究を生き生きと話し、途中に挿話やコーヒーブレイクを入れて眠くならないようにし(?)、研究現場の雰囲気や様々な研究の裏話のようなものを話すように心掛けた。この本は、このような授業の経験を生かして、これから自然科学、地球科学、地球環境問題を目指す、あるいは取り組み直す人を念頭におき、彼らに語りかけるようなつもりで書くように努めた。

 また、本書の内容は多岐にわたっている。それは、私自身の研究内容の多様性を反映している。東北大学の集中講義では、ある学生から私が「ルネッサンスの科学者」のようにいろいろな分野に手を出しているとの評をもらった。それは、また他の学生達からの「あなたの本当の専門は何ですか?」という問いにもなる。しかし、このように表面的に多岐にわたる私の研究も、その中には共通のテーマやアプローチが流れているのである。それは、地球表層での物質移動と化学反応を支配する根本法則を求め、単純化した実験を行うことによってそれらの機構を明らかにし、根本的なパラメータを自分で測定し、これらの値を用いて天然現象を実証的に定量化していくのである。そのためには、地質学、岩石学、鉱床学、鉱物学、地球物理学、惑星科学、無機地球化学、有機地球化学、生物地球化学、フラクタル幾何学、岩盤力学、土壌学、光学、工学一般など既成の学問分野に捕われることなく、必要と考えられるあらゆる手段と考え方を用いる。そういう意味で私は地球を対象とする1自然科学者であるにすぎない。

 このようなアプローチは、ウラン鉱床の成因や放射性廃棄物の処分問題といった応用科学のみならず、地球や惑星の形成過程や進化などの「純粋な」科学と言われるものにももちろん通用する実証的な研究姿勢だと信じている。

 この本の題名を「地球色変化(いろへんげ)」としてみた。それは、本書では、石の色が変化してみたり、化学実験で色が変化したり、そのような色を定量的に測定したり、というように地球化学における色の変化に着目して、地球表層のものの動き(物質移動)と化学反応の経路と速度に関わる研究を紹介しているからである。本書によって私の自然科学、地球環境問題、教育に関するメッセージを受け取って頂ければ幸いである。

 1994年7月
中嶋 悟