自然科学書出版  近未来社
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チャート・珪質堆積物 −その堆積作用と続成過程−

本書の刊行に寄せて
 2008年8月  水谷 伸治郎(名古屋大学名誉教授)

 50年ほど前のことである。私は山で樵のおじさんにあった。彼はきせるに“きざみたばこ”をつめると,袋から小道具を取り出して火をつけた。私はその小道具を見せてもらった。火打石である。一対になっている片方はまぎれもないチャートであった。
 火打石は昔から生活の必需品であったろう。どこの家庭にもあり,誰もがそれを使っていた。「かちかち山」は子供でも理解できる話であった。
 チャートは硬い,緻密な石である。このような性質をもつ石は石器にも使われた。砥石としても用いられた。古くから常に生活のそばにあった。わが国ばかりではない。世界の各地,どこにもそのような石はあった。flint (英語),silex (仏語), Feuerstein (独語),燧石(中国語)等,と呼ばれていた。これは一定の化学成分からなる“鉱物”の集まりとして取り扱われたり,大きな岩体から得られる“岩石”の破片と考えられたりした。あちこちに多産するため,その名称もさまざまであり,産出状態もいろいろ,そして,その成因についても数多くの議論があった。
 1938年,各地で使われている岩石名,ことに珪酸分の多い堆積岩(砂や泥,および,それが固くなった砂岩や泥岩を除いたもの)について,その呼び名を整理する必要があり,珪質堆積岩の名称をまとめた報告書が出た。その委員会はアメリカの学会が中心になって運営されたこともあって,その結論は専ら英語による表記であった。名称については本書に詳説されているので,それを参照されることを勧めておいて,著者の考えに従い,珪質堆積岩を総括的にここではチャートとよぶことにしよう。
 化学分析をしてみると,主成分が珪酸(SiO
2)からなり,ある場合は地層として,また,別の場合には他の岩石に伴って産出する固い岩石として,チャートは地球の表層でよく見出される。それは次の三つの成因によってできると考えられた。

 ・海洋底に珪酸を主成分とする生物の遺骸が集まって地層としてできた
 ・火山活動に伴って,熱水溶液により運ばれた珪酸が沈殿してできた
 ・石灰岩など別の岩石の中に,その岩石ができた後で,珪酸が集まってできた

 これらの考えは,野外における産出状態を調べ,試料を採って肉眼で観察した結果に基づいて得られた結論であった。しかし,チャートの成因はいまだにはっきりしていない。何故であろうか。
 チャートがどのようにしてできるかという問題は,今現在,それに相当する堆積物はどのような形で存在するかという問いかけに答えることでもあった。砂岩や泥岩などの砕屑性堆積岩の場合とは異なって,チャートのもとがどのようなものであるかは分からなかった。世界の各地で,いろいろな地質時代の地層について,また,異なった堆積環境において,そこに産するチャートを研究した結果,珪質堆積物が長い時間を経てチャートになることはもう疑いないと考えられるようになった。未固結の堆積物が固い堆積岩に変わってゆく変化をすべて一括して,続成作用による変化という。地質学的な長い期間を想定すると,時間の経過とともに変わってゆく現象があることは容易に理解できる。しかし,この続成作用についての研究はいろいろな困難を伴っていた。時間とともに変化するという過程を論ずるためには,速度論的研究が必要であった。その種の研究には実験的研究が不可欠である。また,変化過程を解析するためには,変化の律速段階を追求し,また,律速因子を見つける努力も必要であろう。
 さらに,今,手にしている試料は準安定相を表しているという基礎的な考えに立って,観察と検討を行わねばならない。その準安定相は,どこから来たか,どこへ行く途中であるか,そして,その速さは,という問いに答えて行かねばならない。
 このような問題のとらえ方は,これまで一般に進められてきた火成岩や堆積岩の成因を論ずるものとはかなり異なっている。強いて求めるとすれば,変成岩の研究方法に似ていると言えよう。問題が錯綜しているときには,われわれは野外の事実を見なおす。時には逆に純粋理論的なモデルを考えてみる。読者はこのような視点から,チャートの成因にかかわる多くの問題を本書によって知るであろう。

 著者は,福井県下に産出するさまざまなチャートの研究にはじまって,世界各地のチャートを採取し,検討してきた。各地の研究者と意見を交わし,広範な分野にわたる文献を読み,考察を重ねてきている。日ごろの交流から,私は著者の豊富な野外調査の体験,該博な知見,そして,緻密な解析力にいろいろ教えられることが多かった。現在,チャートの研究において,著者の知識は世界的な水準にあると言えよう。彼の研究の特色は,機器分析に過度に依存しないで,むしろ偏光顕微鏡や走査型電子顕微鏡による鏡下の観察,ハンド・レンズを使った肉眼的な観察,あるいは,裸眼による観察等に基礎をおいた点にある。本書は,よく見てよく考える,というごく普通の地質学的手法の重要性をあらためて教えてくれている。
 自然界にはいろいろな種類の岩石がある。例えば,一口に“みかげ石”といっても,その成因は多様だと,昔,先生から教わった。その頃,アメリカの学会で出された本には granites and granites と題する論文が掲載されていた。今回,本書の初稿に目を通しながら,もし,翻訳するとすれば,本書は cherts and cherts と題するのが最も適切ではないかと感じた。読者は本書を通して,チャートの形成過程の多様性を知るであろう。そして一歩進んで,それを統一的に説明する鍵を見出すことができるかも知れない。